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▲ 清代套藍鼻煙壺 |
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▲ アントワネットの鼻煙箱 |
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▲ 清代鼻煙壺 |
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ヨーロッパでは、「鼻煙箱」と呼ばれる装飾された箱に入れられていた「嗅ぎ煙草」がなぜ中国で「鼻煙壺」と呼ばれる容器に入れられるようになったのでしょうか?
初めは、中国でも輸入された鼻煙箱に入れ持ち歩いていたそうですが
、欧州と違い湿気の多い中国では(その頃、海外と盛んに貿易を行っていた地域は、温暖で湿潤な華南地方が多かった)
高価な嗅ぎ煙草を湿けらせない為にも、密封度が高い壷状の容器が考えられました。
はじめはその頃薬を入れるために使われていたガラスの小瓶を代用品として使っていました。
これが鼻煙壷の原型となりそれが、その後の清(1636〜1912)時代の極盛期を経て、携帯用の容器から芸術性を競うものへと性格を変化させていきます。
その時代は北京の宮廷内に鼻煙壺を専門に作る工房が置かれ、
そこで作り出される『皇帝の鼻煙壺』は、その他の民間で作られる雑多な物と区別するため『官料鼻煙壺』と呼ばれ、主に家臣への褒美や外交時の手土産などに使われました。
鼻煙壺素材もまたさまざまに分化し金や銀や錫の金属製・玉や瑪瑙等の貴石の鼻煙壺や、白磁などの陶器や硝子やエナメル彩・象牙等々、ありとあらゆる素材がこの小さな壺、鼻煙壺に使用されました。
また、その時代の高価な美術品的価値から諸外国の外交の土産品としても活用され、逆戻りをした鼻煙壺は、ヨーロッパの香水瓶に影響を与え今日に至るまで、その形を伝えています。
ヨーロッパに渡った鼻煙壺が、アールデコ様式に影響を与えた要素の一つとなったことは、あまりにも有名です。
また、日本でも生産された鼻煙壺は、有田や伊万里などの窯で作られ、海外に輸出されていったこともあるそうです。
アメリカやヨーロッパでは、鼻煙壺はコレクションの対象となっており、
かなりの数のコレクターがいるそうです。
芸術性が非常に高いものもあり、中には数千万円台で取引されるものもあり、
有名な美術館は、大体鼻煙壺の収蔵品を多数取り揃えています。 |